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「小川さんに、はじめに見てもらいたいものがあるんです」。岩田さんがそう言って見せたのは、アンリの創業者・蟻田尚邦さんと一緒に海外を旅した頃の何枚もの写真。「これはミラノ。これはシェ・パニースというレストランでね」。岩田さんの懐かしむ言葉一つひとつに深くうなずく小川さん。
見つめる先には、大切に映像として残された写真のなかの、色あせない友情。アンリなティータイム、第二話のはじまりです。

作家 小川洋子さん × ロック・フィールド会長兼社長 岩田弘三さん

  • 小川洋子おがわようこ

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    1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞、2004年「博士の愛した数式」で読売文学賞・本屋大賞受賞。2006年、芦屋を舞台にした「ミーナの行進」で谷崎潤一郎賞受賞。物語の中に『洋菓子店“A”のクレープ・シュゼット』が印象的に登場する。

  • 岩田弘三いわたこうぞう

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    1965年に料理店を開業後、欧米のデリカテッセンに衝撃を受け、1972年に総菜事業のロック・フィールドを設立。「RF1」「神戸コロッケ」などの店を全国に展開、「デパ地下」の文化を根付かせたことで知られる。兵庫県出身、芦屋市在住。

第一章憧れは、友情と文化を育んで

小川
今日はよろしくお願いします。蟻田尚邦さんとのお写真を見せていただくと、おふたりが会社の垣根をこえて友情を育んでおられたご様子が伝わってきますね。
岩田
ふりかえると、蟻田さんとは本当によく一緒にいましたね。ウィーン、ミラノ、バークレー…。世界の一流を経験しに行くときもいつも一緒でした。彼の美意識には学ぶことが多くてね。最後の写真は、お見せするつもりはなかったんですが、蟻田さんのお別れ会のときのものです。わたしが弔辞をよませていただいて。
小川
祭壇が、アンリ・シャルパンティエのパッケージのデザインになっていましたね…。蟻田さんに初めてお会いになったのは、「御影ガーデンシティ」にかつて出店なさった1978年くらいでしょうか?
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岩田
そこで初めて同じフロアに出店したんですが、その前に青年会議所で会ったのが最初でした。そこから親しくなって、御影ガーデンシティも「ぼくのとこ店を出すけど、一緒に出すか?」と誘ってくれましてね。でも出会う前からアンリのことは知っていて、芦屋の店を見るたびに、「格好いいなぁ」と。
小川
あの阪神芦屋の駅前にあるお店、決して仰々しくない、むしろ静かなたたずまいですね。
岩田
そうなんですが、燭台のロウソクをデザインしたアンリのロゴが、当時から格好よくてね。ショーケースもいいものだし、パンフレットなども全部いい。だから蟻田さんにお願いにいったんです。デザインはわたしたちの弱い部分でもあったので教えてほしいと。蟻田さんは当時のデザインブレーンをすべて紹介してくれましてね。今の「RF1(アール・エフ・ワン)」や「神戸コロッケ」のブランドがあるのは、そのおかげです。ところが紹介されて行ったショーケース屋さんにだけは最初断られましてね。総菜屋に使われると困る、総菜のイメージがついてしまう、と。
小川
ショーケース屋さんのほうから、ですか? それほど“お総菜のイメージ”が、当時と今とでは違っていたんでしょうか。
岩田
そうです。その頃、総菜といえば家でつくるのが当たり前の時代。わたしたちの認知もまだまだでしたし、売られている総菜といえば佃煮くらいのイメージです。悔しかったですね。アンリのショーケースを見ながら、いつかはここに…と思いましたね。

1969年の創業からつづくアンリのマーク。
「洋菓子で笑顔を灯したい」との想いを
蟻田尚邦さんはロウソクに込めた。
そして、ショーケース。
底面からも商品を照らす方法をいち早く考案。
アンリのケースだけが光って見えたという。

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小川
岩田さんのおかげで今ではわたしたちもデパ地下でお総菜を買うのが当たり前になっていますけれど、その文化を日本に持ち込むきっかけになったのが、欧米で出会った“デリカテッセン“だったそうですね。初めてご覧になられたときは、やはり衝撃的でしたか。
岩田
パリの「フォション」、ミラノの「ペック」、ドイツの「ダルマイヤー」を見たときは、これはすごいな、と。ドイツへは1970年に初めて行ったんですが、先の戦争で日本と同じ敗戦国になったというのに、まちには素晴らしいレストランばかりだし、デリカテッセンという豊かな総菜文化がしっかり根付いている。感動しましたね。それで、日本もこれから成長していくなかで、きっと総菜という未来はあるだろうと。その思いからですね。
小川
最初はローストビーフやパテなどの高級なお総菜から始められたそうですが、昭和40年代当時の日本の人たちはまだほとんど食べたことのないものばかりですね。
岩田
だから最初は売れなかったんです。そこで、お中元やお歳暮用の“ギフト”として売り出したところようやく売れだして、5年、10年と経ていくなかで、そろそろ欧米の延長線上じゃなく“日本の新しい総菜をつくろう”と。日本はもともと野菜を中心とした民族でしたから、野菜を使った総菜、“サラダ”だと。
小川
なるほど。日本人に合うように、いろいろ創意工夫があったんですね。
岩田
ええ。それでいろんなサラダを研究して、見せ方も工夫して。そういう、ものづくりやビジュアルプレゼンテーションの勉強会も、蟻田さんとは本当によくやりました。
小川
「RF1」のお総菜には、たしかに洋菓子に通じるものがあります。見てまず、おいしそうだな、美しいなと思わせてくれますし、こんなに種類がつくれるものかとも。先ほど社員レストランで素晴らしい昼食をいただきましたけれど(ロック・フィールドの神戸ファクトリー。レストランにはサラダや総菜が豊富に並ぶ)、おいしいものを食べるということがこんなにも心を豊かにするのかと、実感しました。
岩田
ありがとうございます。蟻田さんにいろいろ学ばせてもらったおかげです。試行錯誤を経て、わたしたちの総菜も今のように変わってきた頃、あのショーケース屋さんもね、「これならいいだろう」とやっと言ってくれました(笑)。

「フィナンシェに負けないものをつくりたい」。
岩田さんが考えているものとは…?
To be continued.

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