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「アンリさん」、または友人の名を呼ぶように「アンリ」。地元の芦屋や神戸で、アンリ・シャルパンティエは、ずっとそんなふうに呼ばれている。誕生は1969年。
かつて、その時代の芦屋を物語の舞台に描いた小川洋子さんと、まちのモダンさに魅了されつづけてきたという安藤忠雄さん。作家と建築家。初対面のおふたりを、まちとお菓子がつなぐ、アンリなティータイムです。

作家 小川洋子さん × 建築家 安藤忠雄さん

  • 小川洋子おがわようこ

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    1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞、2004年「博士の愛した数式」で読売文学賞・本屋大賞受賞。2006年、芦屋を舞台にした「ミーナの行進」で谷崎潤一郎賞受賞。物語の中に『洋菓子店“A”のクレープ・シュゼット』が印象的に登場する。

  • 安藤忠雄あんどうただお

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    独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。東京大学名誉教授。1977年、神戸北野に設計した商業施設「ローズガーデン」は、まちが注目されるきっかけとなる。現在も世界を舞台に活躍、進行中の現場は50ヵ所にも及ぶ

第二章いつまでも心に残るもの

小川
アンリ・シャルパンティエの“フィナンシェ”は、もう40年以上もつくり続けられているそうです。伝統というものは、革新あってこそ。そうした中で、フィナンシェはとても素朴な形なんですが、これを“建築家の目”で描写すると、どんな感じですか?
安藤
わたしは常々シンプルでモダンななかに歴史や伝統などの奥行きを感じられるものがいいと思っているんです。それでいくと、これもなかなかシンプルできれいですよね。それほど装飾もない。うん、いいと思いますね。
小川
たしかに、どうしてこういう形なんだと疑問にすら思わないシンプルさがありますよね。安藤さんご自身も「俳句のような建築をつくりたい」というお言葉を残されていますね。
安藤
たった五・七・五の小さな世界に自然や生命をつぎこみ、人の心や魂に残すことができるわけですから。わたしが設計したひとつに「住吉の長屋」という小さな住宅があるんです。中庭があって、どの部屋へ行くにも屋根のない中庭を通る家で。周りからは、まあ不評でした(笑)。だけど自然と向き合うことで新しい発見もあれば、自然を考え感じることもできる。そういう心との交流があって、記憶に残っていくものになるんです。それは、お菓子も一緒ですよね。食べたらなくなってしまうのでなく、心に残っていく。
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小川
そこにあるモノとしての記憶じゃなく、見て味わって、想像したことまで記憶に残るものであること。大切なことは、建築もお菓子も、同じなんですね。
安藤
そうです。どっちにしても、つくり手がいるわけですから。このごろはロボットも多いですが、現場にはつくる人がいる。いいものは、その人たちとの心の交流もあってこそ、できあがるんです。
  

アーモンドは生地に混ぜる直前に挽く。
発酵バターは北海道根釧地区の生乳のみを使う。
封を開けたときの香り。
しっとりやさしい、上質な口どけ。
“幸福”に思いを馳せるうち、
それは忘れられないおいしさになっていく。

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小川
このフィナンシェも、小麦粉やバターやお砂糖などのベストの分量や配合がきっとあって、その数字がおいしさや美しさをつくりだしているんでしょうね。安藤さんも建築を“数学”で捉えていらっしゃる、とお聞きしましたが。
安藤
建築は数学のようなもの。本当の数学というのは、記憶力だけではどうにもならない世界で、構想して解析していくことで新しい答えを生み出していくものでしょ?
小川
宇宙そのものですよね、数学は。
 
安藤
そうです。そういう数学の幾何学というものを中心におきながらも、すぐに答えが出ないものを建築としてつくりたいんです。だけど今の日本はその反対で、教育にしても記憶力や偏差値が高いほど勝り、すぐに答えが出るものが良しとされる。世界では人口が70億人を超えて資源も食糧も不足する時代になっているというのに。でもたとえば食糧でいくと、日本は世界的にも、清潔で美しくて美味しいものがつくれるわけです。長く自然とともに生きてきた日本人の美しい感性は、新しい世界を切りひらいていけるはずです。このお菓子も、こんなにきれいなんだから、もっと世界に誇ってもいいと思いますけどね。
小川
そうですね。アンリ・シャルパンティエのフィナンシェも、日本の自然や感性のなかで、日本人のDNAを一度通って新たに生まれ変わったものですから、外国の方にとっても新鮮でしょうね。それはフィナンシェを生んだフランスの人が見ても、きっと。

「安藤さんの事務所の庭にある“巣箱”に
隠されたヒミツとは…?」
To be continued.

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