フランス王の名前を尋ねられたら、誰の名前が真っ先に思い浮かぶでしょう? 太陽王と呼ばれ、豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿を建設したルイ14世? マリー=アントワネットを王妃に迎え、フランス革命の動乱の時代を生きたルイ16世?それとも……フランス人にもっとも愛されている王の一人は、実は、もう少し時代をさかのぼり、16世紀から17世紀初頭に在位していたアンリ四世なのだそうです。
アンリ四世はフランス南西のポーで誕生。イザベル・アジャーニの主演で映画にもなった、王妃マルゴーことマルグリットと結婚して、離縁しています。反対派や国民への配慮を欠かさない王として親しまれ、大アンリHenri le Grand、善王アンリle bon roi Henriなどと呼ばれていました。日本の歴史の教科書にも必ずでてくる「ナントの勅令」を発令し、プロテスタントからカトリックに改宗、宗教戦争に終止符を打ったことも、アンリ四世の偉業としてたたえられています。2010年は、アンリ四世が暗殺されてから400年目にあたり、さまざまな行事が行われていました。

パリのなかにも、アンリ四世ゆかりの場所が意外とたくさんあります。ポン・ヌフ橋のたもとにはアンリ四世の騎馬像が建ち、バスティーユ広場から走る大通りのひとつは、アンリ四世大通りboulevard Henri IVと名づけられています。パリ屈指の名門高校の名前も、リセ・アンリ四世Lycée Henri IV。同校は、1789年からフランス初の公立校のひとつとして出発し、ナポレオン帝政下の1804年には、共和制国家初の高校として、ナポレオン高校Lycée Napoléonと呼ばれていました。アンリ四世の名が掲げられたのは、1873年のことです。

パリ西部のサンジェルマン・アン・レー市にある城は、アンリ四世が愛し、しばしば訪れた城。隣に建つホテル・レストラン「パヴィヨン・アンリⅣ Pavillon Henri IV」は、アンリ四世が、セーヌ川を望める立地を気に入って建設させた、シャトー・ヌフ(新城)の一部だそう。フランス料理の伝統的なソースのひとつに、卵黄とバター、酢などで作るソース・ベアルネーズsauce béarnaiseがありますが、このソースは、19世紀半ばに、このレストランで生まれました。歴史上、よくあることですが、このソースも、偶然にできたもの。ソースの名前を尋ねられた料理人は、ちょうど目に入ったアンリ四世の胸像を見て、とっさに「ソース・ベアルネーズ」と答えたのこと。ベアルネーズは、ベアルヌBéarnの形容詞。ベアルヌは、アンリ四世の生まれた県の当時の名称だったのです。

アンリ四世の人気の理由は、民衆に近い政治を行った親しみやすさからでしょうか。肖像画に描かれている表情の多くが、笑みをたたえた顔。いえ、眉がたれているので、微笑みに見えるだけなのかもしれませんが、なんだか憎めません。さらにもうひとつの理由は、きっと、ほかの王に負けず劣らず、アンリ四世が恋多きオトコであったから。アンリ四世は、ヴェール・ギャラン Vert galant、直訳すると、“女たらし”というあだ名までついているのです! 洗礼式には、ジュランソン産の甘い白ワインに加え、なんとニンニクで、唇を湿らしたそう。ニンニクは、その後も、アンリ四世の元気の源だったといわれています。ベアルヌ地方の洗礼式には、アンリ四世にならって、いまもジュランソン産ワインとニンニクが使われているそうです。

このように、ルイ14世やマリー・アントワネット王妃の時代からさらに遡った時代の、文化や政権争い、さらには男女のエピソードを知れば、フランスがもっとおもしろくなって、パリを観光する楽しみもさらに増えるかもしれません。
〈文・三富千秋/フランス パリ在住〉

